【日本】五輪ユニフォームの歴史。

日本の五輪開会式のユニフォームにも歴史あり。

様々なデザインと今後への期待!

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燃えるような赤いブレザーに白いパンツとスカート――。日本人選手団が初めて「日の丸」カラーのユニホームを身にまとって行進したのは1964年の東京五輪開会式。以来、赤と白が基調となるが、ミニスカートを取り入れたり、白をグレーに変えたり、虹色のマントが登場したりするなど時代に応じて変化を遂げてきた。はたして来年のリオ、そして2020年の東京ではどんなデザインが登場するのだろうか? 五輪ユニホームのデザインの歴史を追い掛けてみた。

 着想は日の丸。ブレザーは赤で三つボタン、パンツとスカートは白、ネクタイは赤と黒――。日本オリンピック委員会(JOC)の服装小委員会がこう決めたのは、1964年10月の東京五輪が開催される7カ月前のこと。生地は大同毛織(現ダイドーリミテッド)に発注し、仕立屋集団「ジャパン・スポーツウェアクラブ」が加工した。

「当時は『大の男が赤い上着を着るなんて……』と異論も出たようです」。実父が加工を手掛けたというテーラーキクチ(東京・文京)の菊池文雄さんは語る。デザインを考案したメンバーには「アイビールック」生みの親の石津謙介さんも。

■戦後の復興、印象付ける

目の覚めるような鮮やかな赤ブレザーは戦後、経済復興を遂げたニッポンの姿を世界に華々しく印象付けた。以来、68年のメキシコ五輪で上下の色を男女で入れ替えたり、72年のミュンヘン五輪ではミニスカートを採用したりするが、基本路線としては「日の丸」カラーが続く。

大きな転換点は92年のバルセロナ五輪だ。「日本を代表するデザイナーに依頼すべきだ」との声が高まり、パリのオートクチュール(高級注文服)で活躍する森英恵さんに白羽の矢が立った。日の丸カラーは残しつつ、白を基調に赤い太陽が右肩に浮かぶデザインを採用する。

96年は芦田淳さんがデザインした落ち着いた赤とグレーの組み合わせ。そして度肝を抜いたのが2000年のシドニー五輪だ。選手団は上下紺のスーツに派手な虹色のマントを羽織って行進。「てるてる坊主のようだ」「奇想天外で面白い」――。「日の丸」から逸脱した色調に日本中で賛否両論が飛び交った。

■ロンドンで原点に回帰

“冒険”は04年のアテネ五輪でも続く。ファーストリテイリングが受注し、高田賢三さんが手掛けたデザインは白を基調に花柄(シャクヤク)を取り入れたカジュアルなユニホーム。ジャケット、コート、パーカーなど選手が好みで選べるスタイルで自由さをアピールした。

08年の北京五輪ではミズノが担当し、紺のブレザーに白いパンツを採用。12年のロンドン五輪では赤いブレザーに白いパンツで“原点”に回帰する。「前年の東日本大震災を乗り越えた元気と底力を世界に示したかった」(受注した高島屋)

時代背景やデザイナーの思いなどを映してデザインは変遷してきた。リオや東京の五輪ユニホームは新たな「日本の顔」になる。

(編集委員 小林明)

■森英恵さん「赤の使い方でパターン崩す」

  • バルセロナでデザインを手掛けた森英恵さん

「世界の関心が集まるのが五輪開会式。日本を世界にアピールする絶好のひのき舞台」。92年のバルセロナ五輪では気を引き締めてユニホームのデザインに取り組んだ。

赤い太陽を右肩に付けたのはデザインに勢いを持たせるため。白を基調に襟や丸いポシェットを赤くして既成のパターンを崩してみた。自分では自信作だと思っている。

敗戦を体験した私は「日本は二流国ではない」という気概で働いてきた。自分がデザインしたユニホームを着た選手団が行進するのを見たときは感動して涙があふれた。

戦後70年を経て日本はついに堂々たる一流国になった。ユニホームは次世代の新しい感覚でデザインしてほしい。

 
今までの五輪開会式ユニフォーム、

どれもこだわりがあり、かつ日本らしさを忘れないデザインですね。

今夏行われるリオデジャネイロオリンピックはどんなユニフォームになっているのか楽しみですね!

ですが!それよりも楽しみなのは2020年の東京オリンピックのユニフォーム。

いったい誰がデザインするのか、日本を代表するデザイナーは数多くいますので期待が高まります!

 

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